クリスタルサウンドアカデミー長崎 GreenLeaf

TEL.080-1531-1270

長崎県諫早市

クリスタルボウル

諫早市公民館講座でクリスタルボウル

✨諫早市民の皆さまへご案内です〜✨

5月24日(水)10時〜

本野公民館

定員10名様

お申し込みは、5月17日までに本野公民館(TEL26-0270)まで

新緑の季節に、窓を開け放した広い和室に寝転んで、本明川のせせらぎや鳥の声を聴きながらのクリスタルボウル…毎年楽しみにしてくださっているかたも多い催しです☺️

詳細は、広報いさはや5月号22ページをご覧ください。

HAPPYはじぶんの中に

今はふわふわして優しい音だけど〜立春の日にクリスタルボウル 内観より

立春の昨日は、はじめましてのかたとクリスタルボウルと共に過ごすという幸せな始まり

とてもピュアで好奇心旺盛なAさんの放つ音は、ふわふわと天まで昇っていきそうな・・・

クリスタルボウルの通訳からは

『今はふわふわして優しい音だけど、奥底にはどっしりと穏やかでどんとこい!的なところもある。

もっと力を抜いていくといいよ』

終了後の雑談のなかで、Aさんまさに新たな始まりのときというのが発覚✨

これまで経験してきた両極を、これからどう活かしていくか✨

その活かし方によって、奥底にあるどっしりとしたどんとこい!的な質が出てくるのかもしれませんね~

キーになるのは『力を抜くこと』

いただいたご感想です(抜粋)

↓ ↓ ↓

今日は、ありがとう御座いました🙇✨

とても、大切で有意義な時間を頂きました🙏🥰

何より、音に圧倒されました。さわさんの放たれた音は、圧倒的。

まだ、あのお腹に響く音。

まだ、体の中が振動で震えてる感じがします✨

あと、あのクリスタルボールの安定した存在感。

まるで、さわさんの家族のようでした。

クリスタルボールは、一緒にいる方をあらわす。ですね。あのどっしりと、それでいてとても優しい佇まい✨

まるで、(あら✨いらっしゃい✨)ってむかえいれてくれた様に思えて、有難かったです🙏🥰

帰って来まして、夕飯後、腸の動きが尋常じゃなく、びっくりしています(笑)😊ずーっと、ゴロゴロいっているのです😁

今日は、さわさんとあわせて頂いた事、クリスタルボールに、はじめてふれた事、とても、春🌸

まさに立春🌸になりました🥰🙏💖

。。。。。。。。。。。。。。。。。。

Aさんの繊細なセンサー素敵です♡

立春という佳き日に出逢わせていただいたご縁に感謝です。

Aさん、ご縁を繋いでくださった皆さま、ありがとうございます。

クリスタルボウル内観講座はこちら

<HAPPYはじぶんの中に>

二つの目と第三の眼

とてもしっくりきました。

二つの目を持っている意味、そして第三の眼

誰でも種のように持っている!

なんと嬉しいことでしょう

わたしは、二元性を越えたところから見よう

そこから、音を発しよう

分割されていない永遠なるものを見る眼を、開いていこう〜〜〜在るがままに

瞑想の師Vijeyより

(そのままシェアできなかったので、コピペでシェアさせていただきます)

長いです〜興味あるかたへ💖

↓ ↓ ↓

第三の眼 ~あなたの見方が世界を決める~

たとえば、あなたが愛と憎しみと呼ぶものは、もともとひとつのエネルギーだ。

それらはふたつのエネルギーではない。ひとつのエネルギーだ。 そこには境界線はない。

ふたつの目で見れば、あたかも愛と憎しみがあるように見えるのだが、しかし、そこには、愛・憎しみ、闇・光としてあるだけで、闇  と 光 がない。寒さ・暑さがあるだけで、寒さ と 暑さ がない。

この「と」は、ふたつの目によってつくり出される。現実全体が分割されるようになる。

このふたつの目は、光線が入ると七つの色に分けるプリズムのような作 用をする。

それはもともと混じり気のない白だった。それがひとつで、分けられていなかったときは、混じり気のない白だった。

それが分けられると、たくさん の色になる――。それはもはや白ではないし、もはやひとつでもない。

そう、しかし、あなたが内側に向かえば、第三の眼がある。

このふたつの目が、あなたの内側の深いあるポイントで出会う。それらは外側ではけっして出会わな い。 そこでは出会えない。あなたが遠くを見れば見るほど、それらも遠ざかる。あなたが近くに行けば行くほど、それらも近づく。

あなたが目を閉じると、そ れらはひとつになる。それが「カビロ」だ。そして、そのひとつの眼は、現実をありのままに見ることができる。 それは見ることなしに見ることだ。それはどんな媒体も通さずに見ることだ。それは汚れのない見方だ。その七色すべてがひとつになり、ふたたび白になる。

人びとは美しい目を持つことにひじょうに興味がある。だがむしろ、ものごとを見る美しい見方を得ることに、もっと興味を持つべきだ。

美しい目を持つことより、美しい視界を持ちなさい。美しく見てごらん。

ひとつのもの、分割されていないもの、永遠なるものを見てごらん。それが、私が 「美しく見てごらん」と言うときの意味だ。そして、それは可能だ。

それは私たちの手の届くところにある。それはただ、私たちが一度もそれを達成しようと してこなかっただけのことだ。私たちはその潜在能力にまったく注目してこなかった。 私たちはその可能性の実現に向けて一度も働きかけようとはしてこなかった。

それは種のように残っている。

第三の眼は種のように残っている。ひとたびあなたのエネルギーが第三の眼に入って落ちると、それは開きはじめる。それは蓮 の花になり、花開く。

そして突然、あなたの生のパターンすべてが変わる。 あなたは別人だ。あなたはもう同じではない。あなたは二度と同じではいられないし、世界もけっして同じではありえない。あらゆるものが同じだが、それでも なお、ひとつとして二度とふたたび同じではないだろう。あなたはひとつの眼を達成したのだ。

これがあなたの仕事になる。

目を閉じて、もっともっと瞑想しなさい。もっともっと内側を見ようとしなさい。

最初のうちは、それはむずかしい。そこはひじょうに暗い。 というのも、私たちは、どうやって内側を見るのかすら忘れてしまったからだ。それは見過ごさ れ、無視されてきた。ゆっくり、ゆっくりと、古い習慣という岩が壊され、あなたは感じ、理解し、手さぐりできるようになり、ゆっくり、ゆっくりと、あなた は調節され、それを見ることができるようになる。 最初は、まったくの闇だろう。 ちょうど、太陽が照りつけて暑い外から中に入ったときのようだ。あなたは部屋に入ると暗くて、数秒は見ることができない。  そして目が調節される。ゆっくり、ゆっくり、部屋はそれほど暗くなくなり、ゆっくり、ゆっくりと、光で満ちる。

同じことが内側の場合にも言える。しばらくはあらゆるものが暗くなっても、もしあなたがやり通したら――そして、やり通すというのは瞑想のことだ――。も しあなたが忍耐強かったら――そして、忍耐とは瞑想のことだ――。もしあなたが、掘って掘って、掘りつづけたら、ある日、あなたは自分のエネルギーの源泉 に出くわす。突然、暗闇が消え、すべてが光だ――。 人には夢見ることさえできないほどの、壮麗、光輝。

Osho”the ninety-nine names of nothingness #26″より抜粋

Ma Amara Riddhi